
川崎市北部に位置する多摩区、その拠点でもあります「登戸」におきましては、江戸時代から津久井街道の登戸宿として栄え、語源の一説では「出世(登城)の道の第一歩=登る戸」と言われるほど縁起が良い文化がございます。また、現代においても南武線・小田急線が交差し、都心まで約
20分程という交通至便な登戸駅は、多摩川にも最も近い駅としても利用され、「暮らしやすく、自然も豊富な街」となっております。
近年では、登戸駅周辺エリアの区画整理事業により、更なる発展が期待される一方、登戸の歴史的な縁のある「旧津久井道」も無くなり、商店街にある「北向き地蔵や馬頭観音」などの歴史文化の伝承問題や、商店会員ならびに地域コミュニティの衰退が散見しています。この様な「登戸」の歴史的背景を伝え、未来へ育もう!という目的を掲げ、地域の有志を中心とした「登戸そだて隊」を発足することになりました。私達は、個人の活動と街育てが、身近なものになってほしいと考えています。

“⾚坂御⾨を起点とする⽮倉沢往還の三軒茶屋で分岐し、登⼾で多摩川を渡り、⽣⽥・柿⽣・鶴川・図師から相模原台地の北部
の淵野辺・橋本を経て津久井中野に⾄っている街道である。この道は絹の道ともいわれる。この街道の主な輸送物資は薪、⽊炭、⽣⽷、柿、梨である。”
~神奈川県史各論編民俗より~
登戸は津久井街道唯一の宿場町であった。厳密には、東海道や相模中道とは違い、正式な街道ではない脇道だったため、"宿場町のような集落"が正しい解釈になる。江戸時代、黒川炭が必需品(人気商品)で、多摩丘陵から登戸へ多摩川を渡り、江戸へ運ぶために利用された。
| 種類 | 小杉 | 溝の口 | 登戸 |
|---|---|---|---|
| 旅籠 | 1 | 6 | 4 |
| 居酒屋 | 3 | 4 | 13 |
| 煮売り商 | 0 | 2 | 8 |
| 合計 | 4 | 12 | 25 |
道の名前は行き先から唱えることが多い。実際、多摩丘陵から西の地域は同街道を江戸道と呼んでいた。また、残された指標から推測すると江戸から見ると津久井ではなく、登戸や大蔵(現:町田)への道として認識された。つまりは、津久井街道という名称を最も愛用し、後世に強く名を残したのは登戸の人たちであった。
脇道の集落であるにも関わらず、津久井街道と言われるほど強いブランドを持ち、小杉御殿・溝口継立村よりも栄え、居酒屋が圧倒的に多く、交流・物流が盛んで、多摩川の対岸(現:狛江)とも生活を補っていた。
生活力に溢れ、街に暮らす意義を大いに感じながら、人とのつながりを大事にしていた。今のわたしたちが、先人からの叡智を学び、登戸の暮らしを豊かに体験することで、明るい未来へ繋ぐことができるのかもしれません。